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2018/06/07
2018/06/07記記
      大岡信 「日本の詩歌」 岩波文庫 より    

 1 菅原道真  詩人にして政治家

 * 
日本の詩歌史は、菅原道真以降、その主流を「漢詩」から「和歌」へ移しました。きわめて短期間にこの劇的変化は成就しました。そこでの主要人物の中には、まさに宇多天皇と醍醐天皇がいたのでした。そして同時に、和歌では、繊細な美的感情、その限りない洗練への道が追求されるようになります。政治的社会的主題を具体的に叙述する「漢詩」とは、きわめて異なった道がこうして開かれました。・・・ 道真が詩人として正当に理解されてこなかった歴史的背景は、道真の詩型が漢詩であり、政治的社会的な詩を書きえたのはまさに漢詩型だったからある。道真は、漢詩と和歌の矛盾の深淵にあった。・・・しかし千年をを経て彼をこの深淵から甦らせることは必要であり、又日本の詩を考える上で、重要であると私は考えるのです。                                    
2018/2/18
「現代秀歌」 永田和宏 岩波新書 より

 近代以降の短歌では、作品のなかにあらわれる「私」は、作者本人、すなわち現実の<私>以外のものではなかったが、作品のなかの「私」を、作者本人とは別の存在と考えようというのが前衛短歌の思想であった。近代の短歌が、現実の<私>に縛られすぎてしまったことによって、そこで詠まれる風景は作者の身の回りのものでしかなく、感情は自己の思いの吐露、あるいは繰り言に近い湿った抒情でしかなくなってしまった。想像上の自己を作品に登場させることによって、どこまでも多様になれる<私>の感情表現として、短歌作品の抒情の幅を革新したいとするのが前衛短歌運動であった。多様な、<私>、フィクションナルな<私>の導入による表現領域の拡大という点に関しては、前衛歌人のなかでも寺山修司の問題意識が突出していた。
2018/1/3
 記 
  前川喜平  前文部科学事務次官

 「公務員である前に」 「文科省退官時の全職員へのメール」・・・・「ちくま 新書」より
・・・ しかし、後輩公務員諸君には、これだけは伝えておきたい。
 組織の論理に従って公務を行っていても、君たちが個人として国民に負うべき責任は常に存在するということを。また君たちは、公務員である前に尊厳ある個人であり、主権者たる国民だということを。・・・・

・・・初代文部大臣森有礼の「自警」の表現を借りて言うなら「いよいよ謀りいよいよ進めついにもってその職に生きるの精神覚悟あることを要す」です。森有礼は「その職に死するの覚悟」と言ったのですが、死んでしまってはいけません。人を生かし、自分を生かし、みんなが生き生きと働く職場を作っていってください。・・・・・
2017/12/25
記 
 
  望月衣塑子 著 「新聞記者」 角川新書 より
 
大切にしている言葉がある。インドの独立の父といわれるマハトマ・ガンジーの言葉だ。「あなたのすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。
 
 2017/11/12
  福岡伸一 著 「生命科学の静かなる革命」インターナショナル新書より

 科学の価値は言葉に落とし込まれたときに初めて認知される。 研究者が世界の謎を解き明かした際に求められるもの、それは自身の発見を、多くの人々に理解できる「言葉」へと翻訳する能力なのである。
                                            
  2017/10/11
 私の人生訓 (72才)   小林 守           

   (国の叙勲関係団体の求めに応じて、2014年秋 旭日中綬章受賞)

  人間であること  それはたたかいだ
 
  一行の詩があれば私は生きられる

   字を覚えてから夕焼けが美しいと話した
   識字教室に通う市井の人の言葉にうたれ
   ただの人の原点に立って なお

  人間であること  それはたたかいだ
 
  生死の中の雪降りしきる  (山頭火)
 2017/7/30
   総理大臣 幣原喜重郎のひらめき
     1946年1月24日 (幣原・マッカーサー会談)
 恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生の様々な体験ではなかったかと思う。なんのために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために立つ時ではないか。そのために生きてきたのではなかrったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。何か僕は天命を授かったような気がしていた。
 非武装宣言と言うことは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。だが今では正気の沙汰とは何かと言うことである。武装宣言が正気の沙汰か。それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。何人かが自らかって出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。その歴史的使命を日本が果たすのだ。・・・すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。
 2017/5/19
  詩人  寺山修司の名言より    

 人は一生のうちで一度だけ、誰でも詩人になるものである。だが、やがて「歌のわかれ」 をして詩を捨てる。そして、詩を捨て損なったものだけがとりのこされて詩人のままで年老いてゆくのである。  ー青春の名言ー    

 詩は自立できない。コルトレーンのジャズもティングリーの彫刻も、ケネス・アンガーのフィルムも自立できない。芸術は自立できないのでありー自立できるのは、まさに人間だけなのである。一冊の書物のなかで「もう一つの世界」が自立できると願うのは、いわば詩人の空想というものである。ことばは肉体を求め、書物は眼と黙約の機会を待つ。一篇の詩が自立するのは,言語のなかにおいてではなくて、詩人が終わったところから読者が始めるという架橋体験のなかにおいてであろう。        ー暴力としての言語ー
2017/1/10記   死んだ人はみんなことばになるのだ。・・・・・私は肝硬変で死ぬだろう。
そのことだけは
はっきりしている。だからといって墓は立てて欲しくない。
私の墓は、私のことばであれば、充分。

            絶筆 「墓場まで何マイル?」より 
 寺山修司
寺山修司の歌  2017/1/10 記 
「初期歌編」より
* 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり

* 草の笛吹くを切なく聞きており告白以前の愛とは何ぞ

* ころがりしカンカン帽を追うごとくふるさとの道駈けて帰らん

* ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまでにがし

* 一本の樫の木やさしそのなかに血は立ったまま眠れるものを

「空には本」より
* 一粒の向日葵の種まきしのみに荒野をわれの処女地と呼びき

* 桃太る夜はひそかな小市民の怒りをこめしわが無名の詩

* 冬の欅勝利のごとく立ちていん酔いて歌いてわが去りしのち

* マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや

* マラソンの最後の一人うつしたるあとの玻璃戸に冬田しずまる 

「血と麦」より
* 地下水道をいま通りゆく暗き水のなかにまぎれて叫ぶ種子あり

* 老犬の血のなかにさえアフリカは目ざめつつありおはよう、母よ

* 血と麦がわれらの理由工場にて負いたる傷を野に癒やしつつ

* なまぐさき血縁絶たん日あたりにさかさに立ててある冬の斧

* 厨にて君の指の血吸いやれば小麦は青し風に馳せつつ

「田園に死す」より
* 売られたる夜の冬田へ一人来て埋めゆく母の真赤な櫛を

* 村境の春や錆びたる捨て車輪ふるさとまとめて花いちもんめ

* われ在りと思ふはさむき橋桁に濁流の音うちあたるたび

* かくれんぼ鬼とかれざるまま老いて誰をさがしにくる村祭 
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